ストーリーは適宜、壊してもいい

学年:14期生
出身地:宮崎県
留学先:台湾・台北市
卒業後、社会福祉法人三股町社会福祉協議会に入職

目次

はじめに

今年で社会人生活も4年目になる。
僕は宮崎県の三股町(みまたちょう)にある、社会福祉法人三股町社会福祉協議会という会社で働いている。
若い世代には馴染みは薄いが、世間では、通称「社協(しゃきょう)」と呼ばれていて、全国全ての基礎自治体に必ずある組織だ。(日本で最も人口の少ない自治体である東京都青ヶ島村にも青ヶ島村社協がある)

「自分たちのまちを、自分たちで楽しく」をというコンセプトのもと、三股町社会福祉協議会の中に設置された実践支援研究室「コミュニティデザインラボ」という屋号のチームの一員として、日々奔走している。こちらは通称「コミュラボ」だ。

コミュラボがどんなことをしているのかを簡単に説明すると、住民主体活動が生まれるためのあらゆるコーディネートと仕掛けのデザインだ。

本稿では、働き始めて4年経った僕の視点から、働くことにあまりいいイメージが持てていなかったり、自分がどんな仕事をしたいのかわからず悩んでいたりする在校生がもしいるなら、そんな在校生の皆さんの心が少しは軽くなるようなことを伝えられるといいなと思い、この文章を書いている。

伝えたいことはタイトルの通り、「ストーリーは適宜、壊してもいい」ということだ。

自分のストーリーへのこだわり

僕はAIU在学時代、めちゃくちゃ自分のストーリーにこだわっていた。ベタな言葉でいうと何ものかになろうとしていた。自分が本当にやりたいことをつきとめようとして、そのためのストーリーを探し、課していた。

でも、そのストーリーの中にいるのがひどく窮屈になり、挫折した。

自分を自分がつくったストーリーの中に閉じ込めないこと。
ストーリーは人を助ける側面もあるが、人を閉じ込める側面もあると思う。
だから、窮屈さを感じたら壊すしかない。

この「ストーリーは適宜壊してもいい」という考え方は人を生きやすくさせる機能がある。
強迫的な完璧主義者(ズボラなので一見、完璧主義に見えないがこだわりが強い)であり、〜べき論の思考から抜け出せず、延々と考え続ける僕のようなタイプの人間には、これまで頭ではわかっていても腑に落ちていなかった。

そんな僕が、この考え方を少しずつ実感として受け入れられるようになったのは、仕事を通じて自分自身の変化を経験したからだ。ここからは、実体験をもとに、「ストーリーは適宜壊してもいい」と思えるようになった背景、仕事を通した僕の変化について綴っていこうと思う。

社協に入った理由を聞かれても、、、

僕は現在、三股町社会福祉協議会で働いている。しかし、最初から福祉の仕事を志していたわけではない。地元がつまらないと感じ、未知の世界を求めてAIUを志した高校時代の自分からは想像もつかない選択だ。

「どうして社協に入ろうと思ったの?」と、色々な人に聞かれて、ポジティブな感じの答え方をするのだが、心が「嘘つけお前」と言っている。しっくりこない。

「学生時代から、まちづくりやコミュニティ開発に興味があって、たまたまご縁があって〜」と、ついかっこつけた答え方をしてしまうのだが、本音は少し違う。

実際は、「まちづくりやコミュニティ開発に興味があって」という積極的な理由50%、他人にはほとんど話したことのない「自分自身の精神状態の不調(具体的には、パニックや強迫的な強い不安感)で家族を頼れる実家にいたかった」という消極的な理由50%くらいだ。

2020年春、台湾留学中にパニックになり帰国(公式には大学からのCOVIDの拡大状況を考慮しての帰国要請に基づいて)。ちょうどそのタイミングで親が病気になり、経済的にも苦しい状況になった。2週間くらい緊張と眠れない日々が続いた。

そうした中で、渋々現実的な就職先を探し始めた。

まずは積極的な理由で、まちづくりという軸で、就活を進め、とある関西地方の自治体と、とある九州の農村地域の自治体の地域おこし協力隊の選考を受けた。運よくどちらとも選考に進み、自分の目で見て確かめようと思って現地に行ったりしていた。

そんな時に出会ったのが、三股町社会福祉協議会だった。

お惣菜セレクトショップで変わった自分のストーリーへの考え方

社協で働き始めて2年目、僕に課されたのは、「地域住民さんと一緒に、地域の空き家を再生して人々の繋がりや出会いが生まれるような場をつくる」というミッションだった。当初は空き家だけがあり、どう使うか何も構想がないところからスタートした。

イベントを開き広くアイデアを募ったり、その地域で暮らす人たちにいろいろと話を聞いたりした結果、お惣菜セレクトショップを開くことになった。免許返納により、自分の足でスーパーに行くことができなくなった単身高齢者が多く、惣菜があったらいいという要望を受け取ったからだ。

構想の策定までは順調に進んだのだが、いざ実現に向けてとなるとなかなか進まなかった。
何をしたらいいかわからない、というか人見知りの僕は何もツテがないゼロからの卸交渉を怖がっていたのである。

マジかよ。お惣菜屋本当にやるのかよ。卸の話とか何もわかんねー。

覚悟を決めた。いや決めきれてないまま、やるしかないので足と口を動かして交渉に向かう。社協に入ったら、いつの間にかお惣菜バイヤーになっていた。

そうして地域住民さんが運営主体となり、僕がコーディネーターとして店の立ち上げに伴走して生まれたのが「樺山購買部」だ。

気になる人は是非、インスタの#で、「樺山購買部」と検索してみてほしい。どんな人たちにとってどんな場所になっているかが、垣間見れるはずだ。

樺山購買部

この行き当たりばったり、そして周りの協力に感謝しながら一歩ずつ進む中で、自分の「ストーリー」への考え方が少しずつ変わっていったように思う。かつては「こうあるべき」という理想に固執していた僕が、現実の課題に向き合いながら、柔軟に動き、新しい価値観や視点を見つけられるようになったのだ。

お惣菜セレクトショップ「樺山購買部」が形になった瞬間は、自分にとって大きな転機だった。地域の声に耳を傾け、手探りで課題を解決していく中で、かつて描いていた「完璧なストーリー」に固執する必要はないことに気づいた。むしろ、目の前の現実と向き合いながら、必要に応じて自分のストーリーを壊し、新しい形に作り直していくことが、より自然で、力強い生き方なのだと実感した。

終わりに

100%、積極的な選択ができる、自分で作り上げたストーリーを生きれる人は尊敬するし、羨ましい。だが、100%積極的な選択肢を見つけられず、やりたいことがないと嘆く必要はないのではないだろうか?たとえ、100%じゃなくても、行き当たりばったりでも行動し、自分なりに考えた上で、とりあえず今はこれかな、と思う選択肢をまぁいいかくらいのノリで選んでみる。自分のストーリーを壊しながらも生きていく。そういう気楽さがあってもいいと思う。この文章が、悩んでいる誰かの心を少しでも軽くするものになれば幸いだ。

先月、フリースタイルラップバトルの大会で人生初勝利を収めました(筆者左)
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