暮らしの幅を広げてみたら ~2人で旅した20,000km~

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プロフィール

学年:9期生
出身:東京都
留学先:ベルゲン大学(ノルウェー)
IT企業にて1年半→メーカーにて5年→新しい世界に飛び込む予定です!
夫は同じ9期生で、結婚4年目です。

はじめに

学生のうちは、「今は頑張って勉強しなさい」と言われる。

社会に出ると、「今は頑張って稼ぎなさい」と言われる。

家庭を持つと、「今は頑張って養いなさい」と言われる。

それで子どもが巣立ってから、ようやく好きなことを始めると

今度は「いい年して…」と呆れられるんだよ。

これは去年の夏に出会った、あるサーファーさんの言葉です。
その方は70歳を過ぎてサーフィンを始め、今は海沿いのシェアハウスから毎日海に出ています。

いつ何をやったって、否定する人はいる。
だからこそ自分の気持ちに正直に生きる彼の姿に、ドキドキしたことを覚えています。

2020年からの3年間で、私たち夫婦の価値観は大きく変わりました。
今日に至るまでの私たちの軌跡を、よかったらこの場で共有させてください。

2020年:東京での「なんでもある」生活

2020年、コロナで一変した東京の暮らし。
買い占めなどが起き、それまでの「あたりまえ」が簡単に崩れ去っていきました。

「むしろ今までお金を出せば何でも買えたことの方が異常だったんじゃないかな。」
「これからの2〜3年は、東京を出て2人で色んなことを経験して、生き方の幅を広げてみない?」

東京の過密で消費中心の暮らしに違和感を感じ、疲れ始めていた夫からのこの提案。

東京で18歳まで暮らした私には、当初は正直あまりピンと来ませんでした。
それでも、「自給自足的な暮らしが経験できる場所へ」という夫の強い気持ちを受け、候補地となる場所を探し始めました。

その中で、島根県・隠岐諸島にある、地域おこしで有名な海士町という離島に二人で見学に行ってみることにしました。
実際に行ってみると、若い人がとにかく多い!海士町は超過疎地ながらIターン移住者が非常に多く(人口の1割)、私達にも移住のハードルが低く思えました。

移住者を中心に新しい取組みも活発に起こっていて、「私もその中に飛び込んでみたい」「夫も今苦しんでいる違和感から解放されるのでは?」という気持ちが湧いてきました。

私たちはその勢いで、2021年の春から海士町に移住することを決めました。

夫は現地で就職し、私はテレワークで東京の仕事を続けることに。

2021年:離島での「ないものはない」暮らし

コンビニもない、人口2,000人の小さな島での暮らし。

不安な門出とは裏腹に、お裾分けをくれる優しいご近所さんや、気の置けない友人にも恵まれました。

自分で釣った魚や、畑で育てた野菜を味わい
満天の星空の下、自作スクリーンを広げて映画を観るのも楽しみでした。

「ないものはない」環境で、逆に「なんでもできる」ことを実感できる日々だったと思います。

ただ、ここで子どもを授かることや、長く暮らすことを考えた時、やはり難しい部分も見えてきました。

例えば子どもの目線で考えた時、車道が張り巡らされた島内には歩道や広場が少なく 安全な遊び場は、実は東京の方が多いように感じました。

また、夫も含め一部の人に負担が集中する労働環境があったり、補助金の使い道に疑問を感じることがあったり、“地方創生”の裏側にある課題も目の当たりにしました。

もちろん、新しく挑戦的な取組みには一定の負荷が伴うものとはいえ、何か根本的に、その社会の前提となっているものが、東京での違和感と似通っているような気がしました。

それは「とにかく成長・拡大しないと成功じゃない」というような切迫感とでもいうのでしょうか。
(のちに、そうした切迫感は全国各地に蔓延していて、その島だけに問題がある訳ではないことも実感しました。)

そんな違和感から再び疲れ始めた夫に対して、当初、がっかりしてしまっている自分に気付きました。
ただそれは、「島に来れば元気になってくれるだろう」という勝手な期待を夫にしていた結果であり、そもそもこの時点でまだ、2人の暮らしを自分ごととして捉える覚悟が私になかったのだと今は思います。

家族や友人のいた東京と違い、お互いしかいない環境。
今振り返っても、2人にとって苦しい時でしたが、私たちは何度も意見を交わし
2人の総意として、「季節が一巡したら島を出る」という結論を出すことができました。

私の中でも、それまでは「夫が」「私が」という主語で考えていたのが、ようやく「私たちは」に変わり始めた時でした。

島出るぞーっ!!

2022年:家を持たない暮らし

島を出ると言っても、どこに行こう?

「ADDress(住居のサブスクサービス)を使って、自分たちの家は持たずに、全国で色んな暮らしを覗いてみるのはどう?」

東京を出る時とは違い、今度は最初から、夫の提案にワクワク感を抱けるようになっていました。

そうと決まれば話は早く、家財道具はメルカリで売り、友人に譲り、
私たちはリュックとスーツケースだけを携え、4月末からADDress生活を始めました。

寒がりの私たちは半年間暖かい西日本を中心に巡り、11月からは縁あって再び沖縄に戻ってきています。

始めてみて一番楽しかったのは、偶然その日に集まった人たちと家族のようになれることでした。

利用者は思ったよりも年代やバックグラウンドが幅広く、中には赤ちゃんと一緒に旅をしている方もいました。

そのためか、みんな「違う」ことを受け止める勇気を持っていて、
どんな相手の話も真摯に謙虚に聞いてくれる人が多いと感じました。

2023年:未定

そんな人々と接する中で、私の感性も磨いてもらえたのかもしれません。

今の仕事はテレワークが許されて、同僚も優しくて好きだけれど、
それ以上に自分にはやりたいことがあったことを思い出しました。

それは、子どもに関わる仕事。
実は中学生のころから興味はあったのですが、高校、大学と進学するうちに、無意識にその道を遠ざけてしまっていたのです。

ADDressで出会う人々に刺激とご縁を頂き、まずは3月の1か月間、ここ沖縄で保育士として働いてみることにしました。

夫は「命を頂くこと」を深めるべく沖縄で狩猟を始め、悶絶する程おいしい猪肉をみんなに振舞ってくれました。

4月以降、地球上のどこで何をするかは全く決まっていません。
それでも一つ言えるのは、この3年で私たちの暮らしの幅は広がったし
これからも広がりそうだし、とにかく夫と一緒に暮らすのが楽しいです。

この3年間、何度も丁寧に話し合いを重ねてきて、私もようやく2人の暮らしを自分ごととして大事にできるようになったからだと思います。

11年前、高校の同級生がみんな地元東京で進学する中、
勇気を出して(半泣きで)秋田に飛び立って、AIUでたくさんの経験をして
AIUで出会った夫と、いま沖縄の地でこんな気持ちを共有できていることが
とても不思議なのと同時に、あったかいようなくすぐったいような気持ちです。

最後に

この数年を振り返ると、自分では思いもしなかった道の中でこそ
自分の本当の気持ちや、大切なことに気づく機会に恵まれたと思っています。

流されるって悪いことじゃない。
流されることで、自分1人では辿り着けなかった景色が見えたりする。

これはマツコ・デラックスさんの言葉ですが、3年前、夫の提案に流されるまま東京からの移住を決めた私にとって、すごく元気をもらえる一言でした。

長々と気恥ずかしい事ばかり書いてしまいましたが、AIUの誰かの心にも、何かを届けられたら嬉しいなと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

★夫がインスタをはじめました!ここ2年撮りためたフィルム写真をあげていますので是非見てください!

https://www.instagram.com/harupon628/

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • こはちゃん

    ご無沙汰しています。
    まえだです!(分かるかなぁ…)

    ママのサイトからこちらへ導かれ、こはちゃんとの再会です。
    子どもに関わる仕事!涙が出ました!嬉しいです!

    期待しています!
    (再び、このサイトへ来れるか不安です…)

    • 前田先生!!お久しぶりです🥳🥳もちろん覚えてますよ!もう22年ぶりですね…!笑
      先生はじめ色んな大人の方に導かれて今があると思います。
      母ともまだお付き合いいただいてありがとうございます!
      またぜひお会いしたいです☺️

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