海外だけが舞台じゃない

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プロフィール

学年:学部4期生、専門職大学院4期生
出身:青森県弘前市
留学先:オーフス大学(デンマーク)
2011年学部卒業後、そのままAIU大学院に。
13年に修士課程を修了後は外資製薬会社で約2年、その後ブロック紙の新聞社に移り記者職を6年。2度目の転職で、現在は地元青森の地方紙で記者の仕事を続ける

卒業後は、ジャーナリストとして海外へ―。そんないかにも〝AIU生らしい〟野望を持っていた私ですが、実際に歩んできたキャリアパスはそれとは真逆の道でした。AIUの専門職大学院を修了後、外資系製薬会社のMR(医療情報提供者)として約2年、そこからブロック紙に移り記者職を6年半、そして2度目の転職で現在勤める地元青森の地方紙記者へと辿り着きました。

外に、外に出ようとしていた当初の未来予想図から大きく外れ、内へ、内へと、最終的に故郷へと舞い戻ってきました。ですが、決して夢破れた悲しい道のりではありませんでした。自分の力で、自分の意思で選んで進んできた道だと今では思っています。

AIUの誇りが負い目に

もしかすると在校生や卒業生の中には、周囲の人間以上に〝AIU生なんだから〟というプレッシャーや呪縛のようなものにとらわれている人がいるかもしれません。現に私も、同期の近況などをSNSなどで知る度に、どこか負い目を感じていた時期がありました。けれども、今ではそんなプレッシャーも負い目も感じることなく、むしろSNSにはあまりアンテナを張ることなく、自分の思うままに毎日を過ごせています。そんな今の私に辿り着くまでの道のりを少し皆さんに共有できればと思います。

ジャーナリストの仕事は、学部生の頃から大学院の間も、常に私の目標でした。子どもの頃から作文や詩など、文章を書くのが好きで、探究心も強かった私としてはもっともらしい夢でした。AIU在学中も、エッセイの課題が出た日や、卒論を書く時期になると、どこかソワソワ、ワクワクした気分で執筆に没頭してしまい、周囲に不思議がられることさえありました。

文章を書くのが好きなら、ジャーナリスト以外でも、作家や演出家といった仕事も候補に挙げられたかもしれません。それでも私が「報道」の世界でペンを握ることを選んだのには、当時のAIUでお世話になった勝又美智雄教授や小西克哉教授の存在が少なからず影響していたと思います。

北海道での記者時代、講演で十勝を訪れていた勝又先生(左奥)と再会。私は中央奥

AIU大学院修了時、第1希望で就職活動に励んだのはもちろん、海外や日本のメディア各社でした。妥協ができない性格もあって、自分が「ここだ」と決めた報道機関数社しか採用試験を受けなかったので、結果的にメディア系への就職は果たせず、新卒で入ったのは外資系の製薬会社となりました。自分が目指していた業界とはまるでかけ離れた職種ではありましたが、これはこれで厳しい業界でもあり、対人マナーや常識力、トラブルシューティングの術を徹底的に叩き込まれ、社会人一年目の職場としてはある意味正解だったのかなと今では思います。

ジャーナリズムへの情熱

そこから2年も経たずにブロック紙の記者へと転職したのは、やはりジャーナリスト/記者への情熱が冷めていなかったからです。大手製薬会社からブロック紙への転職となれば、待遇や給料はかなり下がりますが、それでも私に迷いはありませんでした。それだけ自分のやるべきこと、やりたいことが明確だったからです。北海道でようやく飛び込んだ〝聞屋〟の世界は、慣れるまでなかなか大変ではありましたが、それでも自分がやりたい仕事をやれているという充足感があったので、MR時代よりずっと自分らしく日々を過ごせました。北海道では札幌と十勝・帯広を拠点に、編集と外勤記者の仕事に携わりました。慣れない土地ではありましたが、さすが人気の観光地として名高い北海道だけあって、食や景観も存分に楽しみながら仕事に邁進できました。

氷点下10度以下まで冷え込む十勝・大津海岸にて、夜明け前のジュエリーアイスを取材

北海道での記者職もようやく慣れてきた頃、突如目の前に立ちはだかったのが新型コロナウイルスでした。人と接触する機会がどんどん減り、地域の恒例イベントや学校行事などがことごとく中止、中止に追いやられました。そんな折、ふと気付かされたのが郷土愛でした。コロナの影響で中止となった行事について「この地域では◯◯年も続いてきた歴史」「◯◯はこの地域の人にとってはなくてはならないもの」といった記事が度々目につきました。けれども、そういった言葉に私はどこか距離を感じてしまいました。「自分の地元で考えたらねぶたのことかな、さくら祭りのことかな」など、想像してみることはありましたが、それでもやはり地元の人との温度差を埋めることができませんでした。

思い立ったらすぐ行動に移してしまう私は、気付けば故郷青森の地元紙に転職のエントリーをしていました。その時点で年齢は33歳。「転職するならこれが最後のチャンス」という思いが心のどこかにありました。6年半務めた会社を離れ、新しい組織で年下社員に「初めまして」と頭を下げて仲間入りするのは、なかなかのエネルギーがいる行動だったと思います。おまけに待遇も給料もさらに下がることとなりました。

そこまでして何で転職したのか―。理由はひとえに、そこで働いている自分のほうが自分は好きだからです。慣れ親しんだ方言で取材相手と話し、甲子園での地元球児の奮闘に一喜一憂している自分自身が、AIUで気の合う仲間と夜な夜なパーティーをしたり、英語の卒論に没頭したりしていた頃の自分と重なったからです。要は、自分らしくいられる環境がそこにはあったのだと思います。

3年ぶりに開催された青森ねぶた祭り。約12万人の観客が訪れました

転職してすぐの2022年8月2日、コロナ禍で中止が続いていた青森の夏の風物詩「ねぶた祭り」が3年ぶりに開催。私も現場取材にかり出され、沿道でねぶたの出陣を待ちわびる観客の様子をうかがっていました。いよいよ祭りが始まる時刻となり、お囃子が響くと、どうしてだか涙が出そうになりました。祭りが中止となったコロナ禍前から私は北海道にいたのに、祭りが中止となった故郷の様子を知らずにいたのに…、街中に響き渡った横笛の甲高い音色は、そんな事情もお構いなしに私の中でじわじわと熱を持って広がっていきました。やっぱりここで働く道を選んで良かったなと気持ちが落ち着いた瞬間でた。

私の、あなたの〝AIUらしさ〟で

私に限らず、野心家が多いAIUの卒業生なら転職をする人は少なくないでしょう。もちろん転職が良いとも限りませんし、一つの企業で定年まで職務を全うすることだけが正解とも限りません。実際、転職は回数が多ければ多いほど、年齢が上がれば上がるほど、エネルギーがいるものです。私も正直、これをもう最後にしたいなと思っているくらいです(笑)
 
希に、転職回数が多い人は移り気だとか、長続きしないなどという考えを持つ人がいますが、そんなレッテルは全く気にしなくて良いと私は思います。自分がやりたいことや、興味のあることが変わっていくということは、それだけ日々新しい刺激を受けて、新しい情報を敏感につかみ取っている証拠です。何も恥じるべきことではないですし、非難されるようなことでもありません。海外だろうと、国内だろうと、挑戦したいという気持ちを大切に、自分の信念を信じて行動に移す力こそ〝AIU生らしい〟素質ではないのかなと私は思っています。

SNSは基本見ない私ですが、仕事柄、国内外の報道には目を通します。AIU卒業生の活躍も、見逃さずにキャッチしていければなと思っています。

今年もまた、8月2日にねぶた祭が開幕します。北国青森の熱い風物詩を、ぜひ味わいに来て下さいね。

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