暮らしはいつも、2人の中に

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プロフィール

学年:9期生
出身:兵庫県
留学先:ベルゲン大学(ノルウェー)
会社員として3年半勤務した後、夫婦で島暮らしやアドレスホッパーを経験しました。
その旅路は、妻が彼女なりの視点で、別の記事を通して伝えてくれました。
今回は僕の視点から、何を思いこれまでの暮らしを選んできたのか、お伝えさせてください。

ある町の物語

とても心に残っているドキュメンタリー番組があります。
それは、ひとりのコーラス指導者が、寂れ果てた町で希望を失った人々と共に、合唱団を作っていくという内容でした。


歌など歌ったことがない。そもそも生活自体苦しく、合唱などやっている余裕はない。
そう言って背を向ける人々に対し、無理に誘い込むのではなく、一人ひとりじっくりと話を聞いて寄り添っていく。
その真摯な姿勢に街の人々も少しずつ心を開き、合唱を通して誇りを取り戻していった。
そんな話だったように思います。

高校の部活の帰り、たまたまテレビでやっていたのを見てから、結局最終話まで録画して何度も見返したことを覚えています。

ただ、その物語の何がそこまで響いたのかは、当時の自分にはよくわかっていませんでした。

「男らしさ」に足を取られて

それから約10年後。
AIUを卒業した僕は就職し、都内で妻との新婚生活を送っていました。

楽しく充実した時間を過ごす一方、段々とぶつかることも増え、どこか息苦しさも感じる日々。
そんな時に出会ったのが、『男らしさの終焉』という本でした。

そこで語られていたのは、男らしさというジェンダーロールの存在が、いかに社会全体に生きづらさを生み出しているのか、ということ。

著者によれば、”普通の男”(著者の住むイギリスの場合、主に白人・ミドルクラス・異性愛者の男性たち)目線で設計された社会では、その一員として認められなければ、様々な面で不当な扱いを受けることになる。

一方、”普通の男”として認められるためには、男らしく(弱みを見せず、自分を大きく見せて、合理的に)振る舞うことが求められ、成功すれば多くの特権を得られる一方、多大な責任と自分を偽る苦しみを抱えることになる。

こうして、男らしさの鎧に覆われた社会では、”普通の男”自身も含め、あらゆる人がヒエラルキーの連鎖に閉じ込められ、世代を超えて生き方の選択肢を奪われていく——

では、この鎧を外すためにできることは何なのか。
それは、自分や他者の中にある男らしさを非難することではなく、その内側に押し込められた想いに、じっくりと耳を傾けること
それこそが、誰もが生きやすい社会をつくるための糸口となる、と著者は言います。

それを踏まえて改めて自分たちを見てみると、
確かに僕は、”普通の男”になることで仕事に恵まれた部分がある反面、家族を養っていく責任でいっぱいいっぱいで、自分の本当の気持ちに目を向けられずにいました。

一方妻は、キャリアと出産の兼ね合いなど、”普通の男”が抱えることのない悩みを抱え、構造上生活の保証も僕に依存せざるを得ず、自分のやりたいことや願いはなんなのか、考える余裕すら持てずにいるように感じました。

どちらも自分を大切にできていないのなら、もしかしたらこれは、お互いが本当に望んでいる生き方ではないのかもしれない——

結婚生活に悩んでいたこの頃、フィルムカメラを始めました。それ以来、妻との暮らしを撮り続けています。

きっかけはコロナ禍

なんとかしてこの違和感を伝えたい。
でも、何度話しても伝わらない。
当時はうまく整理して話せなかったこともあり、結局うやむやのまま日々は過ぎていきました。

そんな中、世界は突如コロナ禍に。

風向きが変わった今なら、2人のこれからを見直すことができるのでは?
でもどう話し合ってもうまくいかなかったことを考えると、自分たち自身を批判的に見るために、一度住み慣れた環境を離れてみてもいいかも(まさに留学!)しれない。

そして、「今の自分たちを俯瞰するために、東京を離れて、今とは真逆の暮らしを経験してみたい。」と妻に切り出しました。

当惑する妻と、また空回りする僕。

長い長い話し合いの末、子どもを授かる未来も考えた上で、「向こう3年くらいは、まず2人だけであらゆる暮らしを試してみよう。もし違ったら、今の暮らしに戻ってこよう。」と決めました。

そして最初の一歩として、僕たちは離島への移住を決意します。

島に着いた時。「これから、知らない土地で、2人で暮らす。」不安な気持ちも楽しみな気持ちも、混ぜこぜでよみがえってきます。

試行錯誤の日々

島移住を決めた背景には、「コロナによる買い占め等を経験した今、自給自足を経験しておきたい」という理由、
また、「少子高齢化の進んだ地域で暮らすことで、自分たちの子どもが経験するであろう社会を先に経験しておきたい」という理由がまずありました。

しかしやはり、「”普通の男”に頼らない夫婦関係を築くきっかけを得たかった」という理由が、一番大きかったと思います。

そのため島に着いた当初は、家事や仕事に加え、今後どんな暮らしをしたいかのアイデアを出すことまで、あらゆる負担を「平等」に分け合うことで、対等な夫婦になろうと意気込んでいました。

しかし結局、このやり方はうまくはいきませんでした。

今思えば当然ですが、それは「僕たちは違う人間だ」ということに、目を向けられていなかったから。

男女の身体的な差異や得意不得意、考え方の癖から人付き合いの仕方まで、話し合いを続けていく内に、それぞれの違いが浮き彫りになっていきました。そして、それを大切にしよう、と考え方を変えてみると、「平等」よりも「公平」な関係を築く方が、2人とも自然体でいられるのではないか、と思うようになったのです。

釣るのも捌くのも生まれて初めてやったのに、見事にモノにしていく妻の適応力は、本当に尊敬します。

持ち味を生かしあうこと

平等が「2人の違いを無くし、どちらも我慢すること」だとしたら、公平とは「2人の違いを生かし、どちらも納得すること」なのかな、と思います。

例えば、「ややナイーブだけど、その分色々な気づきを踏まえてアイデアを出すこと」は、僕の方が得意。
一方、「どちらかと言えば鈍感な分、その時々の環境にたくましく適応していくこと」は、妻の方が得意。

だから、「僕がその時の2人に良いと思う環境を提案し、妻が一緒に飛び込んでいく」というスタイルが、少なくとも僕たち2人にとっては、一番無理なく笑顔で過ごせるやり方なんじゃないか、という結論に落ち着きました。

正直、自分のことも妻のこともまだまだわからないし、めんどくさいけど、話し合いが尽きることはありません。
でもその積み重ねこそが、いろいろな暮らしを覗くきっかけや、多様な価値観で生きる人々との出会いを、2人にもたらしてくれたのだと思っています。

そんな旅路の中で妻は、誰かに人生を委ねる以外の生き方があることを知り、僕も、男だからと言って全てを背負う必要がないことを知っていきました

島を出た時。この数年、2人でたくさんの「はじめて」にぶつかりました。その経験が僕たちに与えてくれたものの大きさは、計り知れません。

内なる子どもを訪ねて

この3月、妻は保育士として、15年近く温め続けた夢である「子どもに関わる仕事」に足を踏み入れました。
そして、そんな彼女を毎日保育園まで送迎することが、僕の仕事になりました。

子どもたちと向き合う中で悩んだこと、嬉しかったこと。
ちいさな園の中で日々巻き起こる壮大な物語を聞くうち、僕は「世界が未分化な子どもたちにとっては、お互い違うことがあたりまえなのかもしれない」と思うようになっていきました。

そこに国籍やらジェンダーやらのラベルが後から与えられてしまうことで、「違うことが特別になってしまい、自分や相手にその枠組みの中で生きるよう強いてしまうのではないか」と。

もちろん、人と人が生きていくためには、あらゆる枠組みの中で折り合いをつけながらやっていく必要もあるでしょう。
それでも、その枠組みの向こう側で息づく相手を、なるべく見失わずに生きていきたい

そう思ったとき脳裏に浮かんだのが、かのコーラス指導者の姿でした。

町の人それぞれの人種、年齢、ジェンダー、境遇。
あらゆる枠組みを解体し、一つの合唱の中に再構築していく。
そこには、これまで混じり合えないと思っていた人同士が、お互いの良さを引き出しあっていく様子が映し出されていました。

合唱を終え一体感に包まれる人々の表情からは、
自分にこんなことができるとは思わなかった!という胸の昂りと共に、
なんでもできると信じていた幼い頃の自尊心を取り戻したような、そんな清々しささえ感じられました。

高校生の自分があんなにも心揺さぶられたのは、
出来合いの枠組みを越えて人間そのものに尽くす指導者の信念と、
世界を丸ごと受け入れる子どもたちのような歌い手の笑顔が、あまりにも眩しく、暖かく映ったからだったのだと思います。

旅先での出会い。色眼鏡なしに世界を見定めていく子どもたちからは、見習うべきところがたくさんあります。

立ち止まり、思い巡らす日々

この春、妻は子どもの世界にさらに一歩踏み込み、モンテッソーリ教育の国際資格取得を目指して、AIU以来の学生生活を始めました。
そして、そんな彼女を毎日学校まで送迎することが、僕の新しい仕事になりました。

久々に送るゆったりした時間の中で、写真を通した作品作りを模索したり、家づくりのバイトをしてみたり、自分にできることを少しずつ広げながら、この忙しない数年を振り返る日々を過ごしています。

きっと今は、与えられてきた特権を見つめ直し、自分の心の声に耳を傾ける時期なのだと思っています。

定職を離れてはや2年。
人と関わる機会が減ったことで、時々、どこか取り残されたような気持ちになることもあります。
お金も今までで一番少ないし、不安をあげればキリがありません。
それでも、2人の関係は今までで一番良いな、と思います。

そして結局それこそが、僕たちがずっと心の底から求めていたことなのだと、今は強く感じています。

沖縄で出会った8歳の友人が、僕のフィルムカメラで撮ってくれた一枚。今の自分たちが一番好きです。

ゆく河の流れは絶えずして

ここまで夫婦の歩みについて長々と語ってきましたが、実のところ僕は、自分が結婚するとは思っていませんでした。

それは、家父長制のしがらみに苦しむ夫婦の姿を、たくさん見てきたからです。

それでも僕は結婚を選び、そしてやはり苦しみました。

なぜこれほど多くの時間と労力を費やして暮らしを変えてきたのか。

結局それは、結婚という枠組みを一度ゼロにして、僕と妻それぞれにとって一番ちょうどいい形を探してみたかったからなのだと思います。

20,000kmもの旅の果てで気づいたのは、住み良い暮らしは「どこか」ではなく、「2人の中」にあり続けるということ。

「人生とは速度ではなく方向である」

これは何かの本で見た言葉ですが、2歩進んでは3歩戻るような歩みの中で、僕たちも少しずつ、自分たちの目指す道を見出してきたように思います。

これからも変わらず、世界は変わり続けていくでしょう。

だからこそ僕たちも変わらず、2人で地道に話し合いながら、自分たちらしい暮らしを生き続けていきたいな、と思っています。

P.S.

これまでの暮らしをまとめたホームページを作ってみました。

2人のストーリーや写真も載せていますので、よければぜひ遊びにきてください!

https://www.harukiomori.com

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