AIUが紡いだ国際協力への道 ~そして、また秋田へ

目次

プロフィール

学年:7期生
出身:京都府
留学先:アメリカ・ミネソタ州
・AIU在学中は学生活動中心の生活。AIU祭実行委委員会、野球部、SRT、イベント委員会・・・などなど。
・3年時に休学、地元で働きはじめ、貯めたお金でアフリカ・ザンビアへ。そこでの「国際保健」との出会いから、キャリアを大幅にシフト。
・大学院在学中にネパールで活動する医療支援NPO・ASHAを立ち上げ。修了後は外資系コンサルティングファームへ就職。医療領域のコンサルタントとして働きながらASHAをプロボノで継続。
・23年に退職・独立し、AIUの同期とASHAの活動に注力。AIUの頃のような日々を過ごす。

はじめに

AIUに入学してから、気が付けば干支が一回り以上してしまいました。
AIUで過ごした時間は、ついこのあいだのように感じられることもありますが、振り返れば結構時間が経っていることを痛感します。

実は12年前は、AIUのことは受験の数ヶ月前に知ったほど、ほとんど知らずに入学しました。が、今これだけ充実した毎日を送れているのは、AIUで過ごした日々から全てが繋がっているからだと確信しています。機会をいただいたので、そんなAIUやAIU生との卒業後の“交点”について書いてみたいと思います。

ちなみに・・・在学中は野球部や学祭実行委員などいろいろな活動をしていましたが、今はネパールで医療を届ける仕組み作りをするNPO・ASHA(アーシャ)の代表と、エレコムという会社のヘルスケア機器部門で統括補佐を半々で、人が健康に暮らすための仕組みを考えています。

AIUの想い出の2大巨頭、野球部とAIU祭

国際保健の道の「原点」

高校時代、「将来は医療を”届ける”仕事をしたい」と思っていた私は、自分がどんな道に進むべきかの最適解が分からなくなり、AIUの門を叩きました。

「何かが見つかるかもしれない」
という、淡い期待を抱きながら、実行委員長を務めたAIU祭や野球部の活動などにがむしゃらに打ち込みました。しかし、そうした活動が一区切りしたとき、AIUに居続けた先の未来が見えなくなり、支えてくれた人に迷惑をかけた挙げ句、休学を選択したのでした。

その時漠然とアフリカに関心を持っていた私は、AIUの同期の紹介でアフリカ・ザンビアの首都から遠く離れた地域に行く機会を得て、この道の原点となる出会いをしました。

出会ったのは、夫からHIVに感染しながら、夫が逃げてしまい1人で子育てをする20代の女性。一緒に行った友人が「夢は何ですか?」と聞くと、か細い声で「子どもが大きくなるまで生き、看取られて死ぬこと」。

しかし、日本なら可能であろうその夢も、十分な医療も受けられないその場所では、現実になることは難しいことを何となく感じました。そして、「生まれた場所・住んでいる場所が違うだけで、生きたいと願う人が取れる手段に差がある」という現実に、言葉にできない憤りを感じました。

ザンビア訪問

実をいうと、この時は大学を辞める前提で休学していました。でもAIUを休学する直前、アカデミックアドバイザーだったAndy Crofts先生から「君はLifetime Adviseeだから、いつでも連絡してきてほしい」と言っていただきました。ザンビアで感じたのモヤモヤが解消できないまま、藁をもすがる気持ちでAndy先生に話したところ、それが「国際保健」と呼ばれる領域で、大学院で学べることがわかりました。

Andy先生のパートナーのNaoko先生には習ったことはなかったのですが、親身に考えてくださり、1度しか会ったことがない国際保健の先生に連絡まで取って、繋いでくださいました。そうしたご縁をたどる中、悩んだ末に復学。国際保健を学べる大学に留学し、偶然の縁でネパールの医療システムについてセミナーペーパーを書いて卒業して、大学院へと進学しました。

どうしてよいかわからなくなって秋田を訪問、Andy先生夫妻に相談

ネパールとの出会い・「ASHA(アーシャ)」の立ち上げ

大学院入学直後、ネパール出身の同級生と出会い、セミナーペーパーの話をネタに意気投合しました。しかし出会った翌日の2024年4月25日、ネパールの首都カトマンズを中心とした、のちに「ネパール大地震」と言われる大震災が発生。これまでの自分の辿った軌跡や出会いの「交点」が一瞬で頭によぎり、「ここで自分は何かをしたい」という使命感が改めて芽生え、その同級生で今の共同代表のサッキャと医療支援活動(出張診療)を行いました。

しかし、ネパールの地方では基本的な医療アクセスすら整っていなく、単発の活動では効果が見込めない。行動をしたからこそリアルな景色が見えたが、現場の根本の問題を解決するためにはどうしたらいいか。ここに、自分がこれまで学んだ知識や出会いの交点を活かすことはできないか。

現場をみて感じた反省から、帰国後、現地の人やコミュニティの力を活かしながら、この時代だから使えるテクノロジーを活用して、すべての人に “Affordable and Sustainable Healthcare Access”(手の届く、持続可能な医療アクセス)を届けることを目的とする団体、『ASHA』を立ち上げました。

初めてのネパール渡航での出張診療。多くの方が来てくれたが・・・

以来、大学院卒業後も「プロボノ」としてその活動を続けています。

AIU生の参画と組織の変革

2015年の設立から5年が経とうとしていた頃、コロナ禍による活動の停滞や数人のプロボノでの活動の限界を感じ、ASHAの活動を続けるか悩みました。
ネパールの現地で一生懸命頑張っているメンバーの顔も浮かび、組織を立て直す決意をしたのですが、どうしたものか・・・。そんなときに話したのがAIUの頃一緒に野球をしていた仲間でした。

「これ、どこから手を付けたらええんやろ?」「どんなプロジェクトしていったらいいんだろう?」
そんな漠然とした状態で相談しましたが、一緒に課題を整理したり、一緒にネパールに行って話すところから、組織強化の道のりが始まりました。

社会に出て数年、違う世界で研鑽する中で、それぞれ異なる強みや経験を持つ、一方で大学で同じ時間を共に過ごしてきた仲間と再びタッグを組むことができたのは、とても心強いものでした。知識や経験もそうですが、僕の考えそうなこと、やりそうなことを考えて動いてくれたり、「お前がそれやってるからダメなんだ」と厳しいことも言ってくれるのも、AIUの野球部で長い間時間を共にした信頼できる仲間だからこそでした。

強化された組織基盤、そしてまた秋田へ・・・

いつしか、4人の同期と10人の後輩たちが参画してくれ、全体で50名を超える団体になりました。
組織強化の中で、ASHAは「プロボノが集い新しい社会を作るプラットフォーム」になる決意をし、AIU生に限らず、多くの仲間が想いと経験を持ち寄り、日々活動してくれています。

ASHA対面イベントの様子。最前列私の左右がAIUの同期。

組織の規模が拡大し、活動の幅が広がった結果、今年新しいプロジェクトが生まれました。
恩師であるAndy先生のお声がけがきっかけで、ASHAがネパールで行っている「定期的な家庭訪問を通じて、アプリを使って健康状態を把握し、必要な支援につなげる」活動を秋田版にアレンジ。現役のAIU生と一緒に河辺・雄和で、「地域の高齢者をAIU生が定期訪問で見守り、AIU生も地域のことを学ぶ」活動を行うことになったのです。
私自身も研究員としてAIUに戻り、ASHAとAIUのコラボ事業として、AIUの先生方や学生とともに事業を行うことになりました。

ネパールで展開する地域保健スタッフによる家庭訪問。これを日本に逆輸入。

さいごに

「その時、その場所で、その人と出会ったことにはきっと何か意味がある」

そう信じて生きてきましたが、これまでの行動やいただいたご縁が紡がれ、1本の糸としてつながり続けていることを、本当に嬉しく思っています。そして、それを実現してくれた、Andy先生やAIUの仲間、もちろんASHAの仲間や私が勝手に抱いている“夢”を支えてくれている全ての人には、本当に感謝しかありません。

そして、今度は誰かの夢や作りたい未来のために自分ができることをしたい。これからもいただいたご縁を大切にする生き方は続けて行きたいと思います。記事を読んでくださった方とも、また何か一緒にできる日を楽しみにしています。

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