プロフィール
AIU6期生。2013年8月卒業。AIU時の留学先はタイ王国バンコク。2013年9月から文化遺産の管理を学ぶため大学院修士課程に進学し、ギリシャ・アテネに留学。2016年より文化財の保存や活用、整備に関わる計画策定や、世界文化遺産登録に関わる業務支援を行う民間会社に就職。AIU在学中は秋田でしかできないことに取り組みたいと考え、官学共同の限界集落活性化事業等に携わる。
はじめに
初めまして。この記事は、AIU卒業後に海外の大学院(修士課程)に進学し、文化遺産の管理を学んだ筆者の経験を、文系大学院に進学したAIU生のその後のキャリアパスの事例として、文系の海外大学院進学後のイメージの一端をご紹介したいという意図で執筆しました。当時の私自身も知りたかった「大学院を卒業してどうなるのか」の答えの一例として捉えていただければ幸いです。
学生時代に取り組んだこと:秋田でしかできないことは何だろう?
AIUに入学する以前から、都市部にある他大学ではできない、秋田という土地でしかできない経験ができれば、面白い大学生活になるのではと漠然と考えていました。入学から1ヶ月ほどして、高齢化が進む秋田県の9つの集落に秋田県内・県外の学生を派遣して地域を活性化する方法を探ろうという大学・秋田県の官学合同事業が立ち上がり、中心的に関わっていた2学年上の先輩に声をかけて頂いたのが縁で、7月にはAIUから車で30分ほどの集落に、早稲田大学、ICUの学生も含めた4名のチームで1週間の調査に入ることになりました。
今にして思えば当然ですが、集落の方々の反応は「行政がやるから協力するが、なんだこの若造たちは」という姿勢で、緊張した独特の雰囲気の中でお話を伺ったりしていましたが、最終日の各集落それぞれの調査結果と今後の展望をまとめたプレゼンの後、「良くやってくれた」との言葉を頂くことができました。その後も田植え等のお手伝いや、AIU祭等で集落のお米を売る等のご縁が続き、最終的には留学を挟みつつ、4年もお世話になりました。
この集落は、50年後には消滅する可能性があると分類される地域でしたが、豊かな自然環境から生まれる新鮮な米・野菜、広い住居、澄んだ空気等、非常に豊かで贅沢な環境が整っていました。その環境の中に、歴史ある神社があり、そこでのお祭りや風習などが地域の人の生活と密接に関わり合っている有様に、大きな「豊かさ」を感じつつ、消滅を食い止める手法は何かないのか、と強く思うようになりました。
留学先のタイでも「Rural development(農村開発)」という講義を履修し、開発の理論を学びつつ、学期末に地方の集落に3泊して聞き取り調査を行いました。発展途上国のタイでも既に地方の活性化が講義の対象となっていること等、問題の根深さと同時に、秋田の集落のポテンシャルを実感する契機となった気がします。
大学院を目指すことになった経緯:なぜ就職を選ばなかったか?
そのような考えが頭の片隅にある状態で、留学から帰国した1月より就職活動に参加しました。大学院進学はリスクが高い選択と捉えていたからです。自分の中で、どの専門(開発、公共政策、観光等)を専攻するのかも整理できていなかったことや、大学院卒業後のキャリアパス(経済的な自立)も信頼できる情報も少なく、進学後の展望が描けていませんでした。大学院よりも民間企業の立場から地域活性化等に関わるキャリアパスが構築できないか、その可能性の方が現実味があると考えていました。
就職活動は結果が伴いませんでしたが、その過程での書類作成・面接などの経験や感じた違和感、一緒に受けていた友人たちとの交流や、AIUの先生方へのご相談を通して、徐々に文化財と観光という軸が生まれ、考えと心構えが整理された気がします。特に、経団連や商社等での実務経験が豊富な先生方、社会学・哲学を教わった先生方からは、貴重な助言や示唆を頂きました。学生と先生方との「距離感」が近いAIUだからこそ、可能な経験であったと思います。
最終的には、ある場所が有する独特な景観や文化風習を保護継承するともに、それをコンテンツとして旅行/観光というアプローチで活用するシステムや切り口等の研究に取り組みたいと考え、ケント大学(英国)・アテネ商科大学(ギリシャ)の文化遺産管理(Heritage Management)合同修士課程に進学しました。
大学院時代:専門性がない中でどうするか?
この合同修士課程を選択した理由は、「ナショナル・トラスト」の発祥地で文化遺産を活用しながら利益を生み出しつつ保存するという上手な仕組みを持つ英国の事例や教授陣から理論を学び、「ヨーロッパ文明の母」と言われるギリシャ文明の文化遺産を基にした観光業が盛んなギリシャに応用するか、というカリキュラムに惹かれたからでした。
1年半の大学院生活はギリシャの首都、アテネで過ごしました。課外授業でアテネ市内と港町が一望できる高台に行った際、「2,400年前にはアテネと南側の港には直線の道路が作られていて、敵の侵入を防ぐために長い城壁で囲われていた。ご覧、今でも車道としてその直線道路の面影をみることができる。あまり知られていないけどね。」と真っ直ぐに伸びる車道を都市計画(建築)専門の教授が指差した時は思わず鳥肌が立ったことを覚えています。過去の様々な時代の要素がレイヤーのように重なり合って、現在の場所が形作られている。それを分析した上で、「面白く」表現できれば保存と活用のバランスがとれた仕組みになるのではと考え、在学中は日本語・英語を問わず関連書籍や論文を読みつつ、遺跡、世界遺産、博物館・美術館等の現場に足を運ぶ、自己流のフィールドワークをするようにしていました。その際、AIUで受講した哲学、音楽、社会学、経済学、環境学、ゼミでの議論(NPO運営関連)、などの各学問分野の多様な視点や理論、知識などが役に立ち、ポイントを押さえて行うことができたと感じています。
同級生はアメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジア(韓国)からで、学士で考古学や建築を専攻済みか、元博物館・政府等の職員であったなど、既に一定の知識や経験を積んでいる人が大半でした。いずれも当時のAIUのカリキュラムにはなかった講義であり、独学で知っていた知識のみでしたが、上記のフィールドワークで培った視点や疑問を基に、自分なりの視点や意見を持って講義に臨むことができたと思います。
就職と現在の仕事内容
自己流のフィールドワークを続けている中、イタリア・フィレンツェで開催された文化遺産関係者の国際シンポジウムにオブザーバーとして参加した際、当時AIUで考古学を教えられていた先生に偶然お会いし、帰国後にご挨拶に伺ったことを始まりとして、現在の会社に就職することとなりました。
現在では、いわゆるお城、庭園、遺跡、古い建物などの文化財をどのように守り(保存)、手入れ(整備)をして、楽しんでもらえるか(活用)を決定する「計画」策定の業務支援と、UNESCO世界文化遺産登録に関わる業務支援を行う民間会社に就職しています。その中でもメインで携わっているのは、新しい世界遺産の決定等、世界遺産に関わる全ての事項を決定するUNESCO世界遺産委員会に参加し、概要をまとめた報告書を作成する業務です。毎年2週間ほどの期間で開催されており、2016年からフランス、ポーランド、バーレーン、アゼルバイジャン、中国(オンライン開催)に出張し、英語の議論を聞きつつ日本語にまとめ、委員会終了後に約300ページの報告書にまとめています。委員会では修士課程の際にお世話になった教授やクラスメイト、以前のシンポジウムで知り合った人たちと再会するなど、縁が続いています。
おわりに
私の場合は、現在のキャリアを予想した上で大学院に進学した訳ではありませんでしたが、思い返せばAIUに入学した時も卒業後を見据えられていたわけではありませんでした。その意味では、勝算が少なくとも踏み込んでも良いのかもしれません。私の場合は、要所要所でAIUに関わる様々な方に手を差し伸べて頂き、道を切り開くことができました。AIUはそのような環境や繋がりがある大学であり、私自身も今後はその繋がりを維持・発展できるような取り組みに関わっていきたいと考えています。
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