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秋田の豊かさに感謝して生きる
今年92歳になる義祖父さんが、「おはよ」と手を挙げる。車庫から車を出しながら、私も窓越しに「いってきます」と手を挙げる。まだ薄暗い中、ヤッケに頬被り(ほっかむり)の働き者に、毎朝感謝する瞬間です。家の前を滔々と流れる雄物川は、濃い青だったり緑だったり、雨上がりには茶色だったりするけども、それでも今日も美しい。 -
お、準備できてきたかも?←今ここ
自身の業務を回してるだけで満足。後輩だったら「なめてんの?」と自分でもパワハラかましてしまいそうな存在。 さらに結婚のタイミングで「時代はライフワークバランスっしょ」とZ世代顔負けのムーブで大阪に移住し... -
サラリーマンから大学職員へのキャリアチェンジ。Akita、そして、AIUにAターンした1人の卒業生のお話。
次のキャリアを考えるうえで、自分はどんなライフスタイルを送っていきたいのか確認するため、自分の中で2択の質問を提示し、「どっちの選択肢がよりワクワクするか、落ち着くか」という軸で... -
AIUが紡いだ国際協力への道 ~そして、また秋田へ
社会に出て数年、違う世界で研鑽する中で、それぞれ異なる強みや経験を持つ、一方で大学で同じ時間を共に過ごしてきた仲間と再びタッグを組むことができたのは、とても心強いものでした。 -
暮らしはいつも、2人の中に
どちらも自分を大切にできていないのなら、もしかしたらこれは、お互いが本当に望んでいる生き方ではないのかもしれない—— -
「今を生きる~丁寧で誠実な人生を~」
天職だと思う学生支援の仕事に出会えたこと、多くの方々に支えていただいて業務を遂行できたことは、私の人生において、かけがえの無い、本当にラッキーなことだったと思っています。 -
コロナと脱サラとスペイン移住
会社を退職した翌月には結婚の書類を揃えてスペインに引っ越してきました。片道切符だけを持って日本を発つときは、新たな生活にワクワクする気持ちと、簡単には後戻りできないぞという気持ちが入り混じったはじめての感覚でした。 -
何を生業として生きるか
日系企業は自分にフィットするのか不安に思っていましたし、初期配属で就いた経理の仕事は、正直地味でつまらないなと思っていましたが... -
「無条件」の自分の価値と向きあう
きっかけは留学前に軽音楽部員からもらったメッセージカードでした。そこに書かれていたのは、私の技術に関することよりも、音楽に対する情熱、まっすぐな姿勢、努力、頼り甲斐、謙虚さなど、私の内面を気に入ってくれたり、刺激を受けたという言葉が多かったのです。この時は自分自身にこのような魅力があると認識しておらず、読んだ時にはとても驚いたのと同時に、ちょっと泣きそうになるくらい嬉しかったです。 -
AIU生からAIU卒会社員への脱皮
海外駐在という1つの目標を実現するチャンスを貰った今、一会社員として「ここからの人」であれるよう、またギアを入れ替えて頑張っていこうと思います。